妙見さんと馬

妙見信仰と馬の関連を調べてみたが、特に興味あるものは得られなかった。だだ、下総(シモフサ)を支配してた千葉氏を通じて若干の関連がわかった。
妙見信仰は、最初は朝廷の祭りとして盛んになるが、鎌倉時代には日蓮宗との関連で全国的な規模の広がりをみせる。武士階級では、北辰妙見が北斗の七菩薩を率いて国土を擁護するという信仰から、武運を守ると信ずるようになった。中でも多田満仲を初めとして、大内、島津、千葉氏らが熱心な信徒であった(野尻抱影著「日本の星:星の方言集」(中央公論社:1973)。この千葉氏は下総を支配していた中世まで遡る古い豪族である。しかも、下総の原野を牧(マキ)として馬の放牧をおおきな生業としていた。この千葉氏は、千葉介常胤(ツネタネ)の時代に、源頼朝の伊豆挙兵に遭遇し、最終的には源氏に加担する。この常胤の末子に胤春(タネハル)がいる。彼は、義経のシンパの一人である(吉川英治著「新平家物語」。このシンパの中には、福島医王寺の佐藤継信・忠信兄弟もいる。
横道にそれたが、この千葉氏のところで、妙見信仰と馬が繋がる。
因みに、相馬中村藩はこの千葉氏の支流である。これが、相馬でも馬と妙見信仰が盛んな理由のように思える。