方位の十二支(続き)

前回に「月の十二支」から「方位の十二支」が案出されたプロセスを探るのはなかなか難しく、単に陰陽五行説によった観念的なものであったのかもしれないと書いた。
ところで、「正月。初昏参中。斗柄懸在下。」というものがある。これは夏小正に見える記事である(能田忠亮著「東洋天文学史論集」(恒星社:平成元年(復刻版))。この夏小正は夏の時代(紀元前2000年ごろ)の一年の月(十二支の月)の初めの夕刻に見える天体の様子を示したのもである。
紀元前2000年ごろは北斗七星は北極星に極めて近くにあり、中国ではどんな季節でも一晩中見えていた。だから北斗七星は極めて重要な星座であったはずである。「斗柄」とは、北斗七星のかたちを柄杓と見たときの柄の部分である。だから最初の記事は正月一日の夕刻に北斗七星の柄が下(南)を向いていたという事実の記事である。この記事の面白いところは、十二支の月名と北斗の方向が対応されることである。
夏小正には同様な記事がある:
「六月。初昏斗柄懸在上。」
「七月。斗柄懸在下則旦。」
明らかに、十二支の月と北斗七星の柄の方位の関係を観察したものである。ここに、「月の十二支」から「方位の十二支」を案出する鍵があると思われる。日没後に見える斗柄の方向が月の十二支であるから月毎の方位を十二支で呼んだわけだと思われる。