支倉常長と金華山号

このブログで以前書いたが仙台市博物館所蔵で支倉常長が持ち帰ったもの(全て国宝)の中に鞍や鐙など乗馬の器具が多い。これは常長が乗馬に大変に興味を持っていたことからだと思う。当時日本にやってきた宣教師たちが馬を連れてきた可能性があるが、常長は当時のヨーロッパで出会ったアラブ馬の立派な姿態に驚いたことであろう。常長がヨーロッパから馬を持ち帰ったという伝説もある。その馬を基に伊達藩では馬産が幕府に秘密裏に行われたという。
時代がずっと下るが明治天皇の御料馬になった東北の馬がいた。これが金華山号である。明治9年東北巡幸の際に付き人が目をつけて御料馬として買い上げたという。この馬の出身地は仙台の北、鳴子鬼首(おにこうべ)である。この馬は乗馬馬として優秀だったらしくよく調教されていたと言われている。例えば、儀礼式典の際には、祝砲などの大音響の会場でも落ち着いてヒトを乗せていたという。馬の姿態にはモンゴル系の馬以外の特徴があった。
支倉常長が持ち帰った馬の末裔とこの金華山号を関連づける人々もいる。
慶長と明治とは300年以上離れている。その間には江戸幕府八代将軍吉宗によるペルシア馬の組織的な輸入や馬産もある。こちらは資料的にもはっきりしている。この事跡の規模と拡がりのなかに伊達藩が含まれていた可能性もある。
金華山号の木彫が鬼首荒雄川神社境内の主馬(しゅめ)神社にまつられる。

金華山号
金華山号