猫に関する格言

ネットワークが不調でここ2,3日記事をかけなかったが
フランスで出会った猫たち」(レイチェル・マッケナ)を眺めていて見つけた猫に関する格言を紹介したい。

(1)猫は毛皮と着たディレッタントだ。
デオフィル・ゴーチェ

(2)猫は書斎の虎だ。
ヴィクトリ・ユゴー

(3)数多くの哲学者と数多くの猫を研究した。
猫の知恵のほうが果てしなくすぐれている。
イポリット・アドルフ・テーヌ

(4)猫は地上に降り立った精だと私は信じている。
猫なら雲の上だって足を踏み外さずに歩けるはずだ。
ジュール・ヴェルヌ

(5)他の動物はすべて眠るときには疲れきった様子で横たわるのもだ。猫だけが自然から特権を与えられている。詩人であればそれほど現実をねじまげることなく、その眠りを瞑想や夢想と描写するだろう。
マリウス・ヴァジョン

(6)神は虎を愛撫するという喜びを人類の与えるために猫をつくった。
フェルナン・メリー

(7)まどろむ小さな猫。それは美の完璧な姿。
ジュール・シャンフリー

「近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)

大坂冬の陣で真田信繁と信幸の兄弟が登場する歌舞伎である。時代を鎌倉時代に移している。徳川家康は北条時政、真田信繁は佐々木高綱、信幸は盛綱となって登場する。八段目が「盛綱陣屋」で、首実験が大きなテーマになっている。

「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の「寺子屋」、「義経千本桜(よしつねせんぼんさくら)」の「すし屋」、そして「谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」の「熊谷陣屋」でも首実験が大きなテーマである。

「馬面(うまづら)」花巻電鉄

花巻市街地と花巻温泉郷を結び走っていたのが花巻電鉄である。1969年まで現役であったが、現在唯一存在する車両に乗ってみる体験会があった(河北新報8月15日記事)。

記事によれば花巻電鉄は県道の一部を借用してレールを敷設したため、レールの最大幅員が1.6メートルしかなく、従って車両も極めて縦長になっている。これを称して「馬面(うまづら)電車」と言ったそうである。

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夏越祓(なつこしのはらい)

もう一つ古式の雰囲気を残す夏の祭りを紹介したい。それは夏越祓(なつこしのはらい)である。

縄解きの神事が始まる。神前に供えられいた短い縄の山が神官たちによって参拝者に配られる。一人に二本ずつ、一本は右より、もう一本は左より。祝詞が詠まれる。参拝者はみな右縄の一端を口にくわえ、右手で縄の撚りを解く。また祝詞が詠まれるが、今度は左縄で同じことをする。すっかり解けてしまった縄で体にあちこちをさする。これによってその人の災厄や不祥の全てが縄に移される。この縄はあとで人形(ひとかた)とともに川に流される。

川原に祭壇が作られている。その祭壇には人形が置かれている。人形は白紙に人形を黒や赤で画いたものである。この人形がさきほどの縄と一緒に川に流される。これが夏越祓(なつこしのはらい)である。

人形を流す風習は平城京の時代でも知られている。穢れやそれを浄める祓いは古い時代からあったわけである。

七夕祭:乞巧奠(きつこうてん)

七夕祭は女子のお祭りだった。平安朝には乞巧奠(きつこうてん)といわれ盛大なものであった。「宇津保物語」には

「七月七日になりぬ。賀茂川に御髪すましに大宮より始め奉りて、小君たちまで出で給えり。賀茂の川辺に桟敷うちて男君たちおはしまうさず、その日の節供川原にまいれり、君達御髪すましはてて、御琴しらべて七夕に奉り給ふほど….」

とある。琴を鳴らして奉納する対象は七夕で牽牛、織女の二星である。ここには中国の七夕伝説の影響があるが、川辺に桟敷をつくり、そこで髪を洗い浄め、食事もそこでとるということは水神に奉仕する巫女のことである。つまり夏にはその力を発揮する水神のため、おとめたちは桟敷ー棚(たな)ーを設けて神に仕えた。棚には織機ー機(はた)-がすえられ、おとめたちは神に捧げる神衣を織った。これが日本のタナハタであった。

輓馬(ばんば)の歌

新聞に詩稿「輓馬(ばんば)の歌」を書いた久保克彦の評伝の記事がのった。久保克彦は『図案対象』という作品を残した戦没画学生で未完の詩集「輓馬(ばんば)の歌」を遺した。

藤田嗣治が「右腕はお国に捧げるつもりで戦争画を描け」と言った時代に明確な反戦の意思を持った詩稿「輓馬(ばんば)の歌」を書いた。そこには数しれない輓馬の隊列が「怠惰な戦争の続いている/黄土の大陸の方へと進んで行く」と、ひとり馬にあらず全ては日中戦争に向っている状況への抗議となっている。

この25歳で戦死した久保克彦の『図案対象』は戦争の無意味さ、文明の脆さを象徴する作品となっている。この作品はかれの母校、芸大美術館が所蔵している。

評伝の著者は久保の甥である木村亨氏で「輓馬(ばんば)の歌 《図案対象》と戦没画学生・久保克彦の青春」(図書刊行会:2019)。

アイスランドの暦法

12世紀にジュリアン歴が導入される以前にアイルランドは独特の暦法を持っていた。

<星のオッド>と仇名がある農奴の歴研究から、一年を52週とするもので一年が364日であった。10世紀になると、この一年では短すぎるので、7年ごとに夏に閏週を1つ入れた暦法である。

「サガとエッタの世界ーアイスランドの歴史と文化」(山室静著)より。