元号の起源について

小説十八史略」(陳舜臣)に以下のような記述がある:

「文帝の十六年(紀元前164年)に、瑞兆ともいうべき玉杯が発見された。その玉杯には『人王延寿』というめでたい文字が彫られていた。宮廷に出入りしていた、いかさま占い師の新恒平というものが、すこし前から
ー瑞兆の玉器が近くあらわれるでしょう。
と、予言していたのである。
はたして、めでたい玉杯があらわれたので、それを記念して、文帝は
ー来年から後元(こうげん)と改元しよう。
といったのである」

これが元号の第一号である。

しかもこの話には付録が付く。実はこの玉杯はいかさまであることが判明し、新恒平は処刑される。いまさらまた改元もできないのでこの元号を使い続けた、という。
「元号は誕生のときから、いささか胡散臭いものだったのである。」と著者は結んでいる。

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